8月24日(火)
腕時計を忘れてきたのに気づいて免税店でスウォッチを買う。軽くて金属探知機にひっかからないところがミソ。
SQ619定刻通り離陸。けっこう混んでるが、ネット・チェックインの時に確保した最後尾の席はさいわい隣が空いていた。
機内上映のサウスの映画はタミル語映画2本。SQではサウス他言語映画を見たことない。インド系シンガポール人の過半がタミル系であるためだろう。
1本はヴィクラムの怪盗雄鶏男カンダスワーミでこれは見たことあるのでパス。もう1本のシヴァ主演のTamizh Padamはたいへん珍奇な造りであった。どう見ても低予算なのだが、インド映画のヒーロー・アクションものの定型をすべて逆転させることで成立している。人気作へのオマージュをこめたパロディはタミルやテルグでは一種の調味料としてよくなされるものだが、これは味つけの問題ではなくフォーマット自体を倒立させようという試み。面白くはあったが成功作とはいえない。しかし監督のCS Amudhanの心意気は買ってもよかろう。こういうspoof filmではアムンダンは旗手のひとりらしい。歓迎すべからざる流行なり。
定刻半時間前にチャンギ着。トランスパ、フードコートで豚の内臓入り汁ソバとルーティーンを着々とこなす。PCで無線LANに入ってメールの処理。民博のS先生からアディヤール追加情報の提供あったので御礼メール。次のチェンナイでの調査に展望が開けそう。
免税店でソーテルヌを1本大佐へのお土産に。甘くて口当たりがいいからワイン知らない人にも飲み易いし、イタリアンの修行をしているという娘さんには勉強にもなるだろうという含みもある。iPhone充電用バッテリとドングルのストアレージも購入。
SQ502定刻発。モンスーン・シーズンだからかどうか、嫌に揺れた。機内上映は前の便とメニューが同じなのでBBCの科学番組を見ながら時間を潰す。うとうとしてるうちにドスンと着陸。空港は雨。
iPhoneのフライトモードをオフにするとIdeaのシグナルを真っ先に拾った。たちまち柔堤から海外パケットし放題のサービス対象外のキャリアにつながったとSMSが来る。Aircelを探してマニュアルで設定。流石に3GではなくGPRSのネットワークにつながった。1日1500円という価格設定は微妙だが、放置しておくと常にネット接続してIPアドレスをリフレッシュするタイプのスマートフォンには割と便利かも知れない。
何事もなくイミグレを通過。安堵する。免税店でジョニーウォーカー中瓶4本詰めセットをおとーさんに。おとーさんは啤酒飲みだが赤黒白緑とバリエーションあるのでお客さんにも出せるかもしれない。少なくともハリ君は飲むだろう。
外に出るとさすがに涼しい。日本の殺人的熱気が嘘のよう。機場的士の中で大佐に電話。運転手に宿までの道順を指示してくれる。iPhoneのマップでルートをトレースしているうちに40分足らずで宿に到着。迎えに来てくれた大佐と握手。
宿はこのごろバンガロールで流行のウィークリーマンション・タイプのゲストハウス。現地ではサービス・アパートメントというらしい。聞くところによればピンキリあるらしいが、これは最上級タイプか。マンションのワンフロア、客室3、リビング1、ダイニング1、キッチン1をそのまま使っている。客室も広くて清潔。都会では海外NRIが投資目的で購入したマンションを専門会社に委託して宿泊施設にするケースが増えているらしい。しばし大佐と歓談したのち0100前に就寝。
8月25日(水)
0530に目が覚める。日本時間で0830だから当然か。無理しても二度寝できないので0600過ぎにダイニングに出ると散歩から帰ってきた別のゲストとばったり。カンヌール出身のマラヤーリで家族連れで遊びに来ているという。地方都市のアパーミドルがお買い物も兼ねて東京に来た、という感じか。
このR氏のいれてくれたコーヒーを飲みながらなにやかやとお喋り。今は仕事でイラクへ単身赴任しているという。カタールにいた頃は日本の建築会社で働いたこともあると言っていた。これまでの赴任地を聞くと、イエメン、湾岸、ナイジェリア、それにイラクとなかなかに濃いところばかり。かなりアブナそうな地域が多いが、報道されているほど危険ではないとのこと。割と訛の少ない英語を喋る。イングリッシュ・ミーディアム学校の出身ではなく国外で仕事をするようになって本格的に会話を練習したと聞いて一寸吃驚。しかし娘二人はイングリッシュ・ミーディアム校で勉強させているらしい。
朝食はたぶん0730くらいだった。パロタ、オニオンオムレット、パパイヤ。ここはネパール人を何人か住み込ませてアテンドさせるシステムのよう。朝食もかれらがサーブしてくれる。
100 FT Road沿いを散歩。インディラナガルの中心街で非常にこじゃれたエリア。Old Airport Rdとの交差点あたりでインドで初めての歩道橋を見て感動する。でも誰も使ってない(笑)。
超市で炭酸水とスナックを買う。エアセルの支店があったので交渉してみるが、やはりパスポートのみではシムカードの発行は不可。警察の証明書が必要という。インドは何事もいーかげんに見えて文書主義だ。しかし事務員の対応は悪くなかった。
帰宅するとゲストハウスのマネージャの珍珠女史がいたので挨拶と共に滞在証明書を書いてくれるように頼む。シャワー浴びてお出かけ。MGロードへ。ICHでオムレツとチップス。一寸空腹。ドーサイにすればよかった。Church StのBlossom Book Houseでタミルの探偵小説のアンソロジーを2冊。ネットで購入できず欲しかったもの。嵩張るが嬉しい。雨が小振りになるのを待ってファブインディアで衣料を少々。そのまま帰宅して少し昼寝する。
そろそろ空腹になって目が覚めるが大佐から来るはずの連絡がない。アッサミーのアルン来て珍珠女史が滞在証明書を書いたがパスポートナンバーが分からないので書きかけの文書をPCの中に残していったという。女史に電話すると大佐が残りを書くと言ってるから電話するとのこと。1900前に大佐来て証明書を浄書。PC使いがぎこちないのが可笑しい。アルンと三人で近所の小間物屋でエアセルのシムカード買う。Rs65。1時間後にアクティヴェートされるという。パスポートのフォトコピー取って大佐宅へ。2000は過ぎていたと思う。
プニート・インタビューが実現するかも知れないとの報。大佐は何種類かの絡め手で行ったらしいが、ラージクマール一族の持ち家のひとつの隣家の知り合いというのが最終的に利いたようだ。が、まだ油断は禁物。阿氏に電話して善後策を協議。結局日曜をこちらの要望として強く圧すことにする。
お土産のソーテルヌは上のお嬢さんトゥルシがいちばん喜んでくれた。ちょうど料理学校でデザートワインのことを勉強してるところという話でプレゼントしてはタイミングよし。ディナーは彼女の手作り。テレビで人気のベトナム人シェフのレシピを自分なりにアレンジしたものというが、なかなかハイレベルなお味。褒めちぎる。料理ネタの話題は家族の誰よりもこの子と話がよく合う。ハイボール飲みながら旧交を暖める。話題はムスリム過激派のこと(つい先日クリケット・スタジアムで爆弾騒ぎが起こったばかり。逮捕された容疑者はコインバトール事件にも関与していたという)、イングリッシュ・ミーディアム校での教育について(授業料の高くない公立の英語教育校もあるとのこと)、家庭内での英語使用のこと(タミル語は分かるがほとんど英語以外は使った記憶がないというトゥルシの話)、ラヴデイルが難関校なのは入試が難しいからということ(むろんOBがいれば有利になるのはいうまでもないが、とのこと)など。
エアセルの登録用の書類を大佐に手伝ってもらって作成。何せ字が小さいので部屋の暗い照明では老眼にはちっとも読み取れない。パスポートのコピーに写真貼ってサイン。とっくに1時間が経過したのでシムカード入れ替えてみるが完全には作動せず。電話を受けられるのだがかけられず。明朝アルンに小間物屋と交渉してもらうことにする。
2230頃大佐宅を辞去して、大佐、二人のお嬢さんと一緒に近所のアイスクリーム屋へ寄る。お勧めのナッツヌガーを食べてお休みのお別れ。大佐一家は奥さんへのお土産のチーズケーキを買って帰る。
8月26日(木)
0300に目が醒めるが無理やり目を瞑って一寸だけうとうと。0630くらいにダイニングに行くとR氏がランニングに行くんだと起きてきた。
0730に朝食。今朝はココナット・チャツネとドーサ。不味くはない。ベランダで朝刊読む。プラカシュラージ再婚の記事。相手はボリウッドのコレオグラファーらしい。推特でもシッドゥはじめ祝福の嵐。
午前中の過半はシムカード対応で潰れる。アルンが来てやはりエアセルの事務所に行く必要あるとのこと。要するに通話料を振り込んでいないからかけられないらしい。1000頃出かける。カウンターのおねーちゃんから幾つも駄目出し。まずパスポートのコピーが駄目、ちゃんと顔が認識できるカラーコピーにせよというので近所のコピー屋にアルンが取りに行く。しかし滞在証明書では駄目で警察から確認書を取って来いと主張して譲らない。そこに大佐到着して猛然とインド式の抗議というか交渉に入る。音を上げたおねーちゃんは貴方が代理で購入してこの人に貸してやった方が事は丸く収まると言っても大佐はそれとこれとは話が別だと理屈を並べ立てて強硬に主張。遂にこちらの意見を通させる。こっちの言う事をすんなり聞いてはくれないがこの店の接客態度じたいは悪くないので、実は印象はそれほど悪くない。おねーちゃんはアルンとヒンディー語で会話してたから、もしかして北から来た子なのか。通話料としてRs 2000払う。その後なにやかや細かいトラブルがあったのだが半時間後にようやく開通。しかしネット接続は動かない。APN情報のマニュアル入力が必要のようだ。
1100に大佐の車に便乗して出発。他言語映画単館めぐり。Lavanya(タミル、ドイツ=インド映画祭が開催されていて何かアートフィルムをやってるらしい)、Ajanta(タミル、カルティク+カージョル・アガルワルのNaan Mahaan Allaを上映中)、Pallavi(テルグ、潰れたかのように人気がない、ラーヴィ・テージャ+シュレーヤのDon Sheenuのポスターが半分剥がされて残っている)、廃館となったMinerva、Sivaj(この二つは一番古い映画館)、最後にPoornima(マラヤーラム、ジャヤラーム+マムター、サティアン・アンティカッド監督のKadha Thudarunnuがリバイバル上映中らしい)と回って写真に収める。奇異の目で見る奴多数。そりゃそうだろな。バンガロールにおける他言語映画上映形態の調査をしてるなどと説明しても話が紛糾するだけなのでとっとと退散。いや、実は紛糾した方が色々面白い情報が取れたに違いないのだが、大佐を待たせるのも偲びないので止むなく略称。
単館めぐりの途上陸軍の連隊本部に寄る。ちなみにバンガロール東部は国防軍とその関連産業で発展した地区なので軍とそれに付属する施設(学校や病院など)がわんさかある。大佐はさすが顔パスで入る。但し基地施設には外国人立入禁止なので知らんぷりしてるよう諭される。助手席で大人しく首をすくめて待つ。
1300頃Woodland HotelのSunheriでベジミールスのランチ。さすが音に聞こえた銘品だけあって美味。久しぶりに旨いベジミールスを食った。ホテルのロビーで腹ごなしに雑談。大佐式糖尿病対策の話。ホメオパシー主体のもので腹式呼吸を中心にするらしい。自分がケミカルの薬を処方されていると言うと一寸顔を顰めていた。
半時間後帰路に。大佐家のお寺を教えてもらう。サイババの寺院、といっても無論トラディショナル・サイババの方。車中で大佐は眠たいを連発。自分も瞼が重い。やはりライス主体のミールスは最初は腹にずっしり来る。
アパートメントに帰ってネットでエアセルのAPN情報を収集。錯綜してるのであてずっぽうにaircelgprsとマニュアル入力したら何気なく開通した。サクサクとはいかないがメールもネットもマップも問題なく動く。しめしめ。
昼寝しようとするが何故か寝付けない。ベッドで反転してるうちに何時の間にか眠りに落ちたらしい。阿氏からのSMSで目が覚めるともう1800前。慌てて身支度し水を一杯飲んで飛び出るも、帰宅時でそのうえ雨もよいと来ては仲々オート捕まらず焦る。オートには稼ぎ時なので遠方のジャヤナガルまでは行きたがらないのだ。数台に乗車拒否されてから好人物そうな爺さんをつかまえる。値段もRs140とけっこう良心的。しかしよほど年季の入った車と見えて速度は上がらないわ(自転車にまで追い抜かれる!)時々エンストするわで最初は気を揉まされたが、雨脚が激しくなってくるのに反比例して腹が据わってきた。ま、着かなきゃ着かなかった時のことじゃわいと腕組みしてずっしりとかまえる(御免よ、阿さん)。腕組みしていたのは実は驟雨と日没で俄に気温が下がり肌寒かったためもある。明日は長袖のシャツを着てくることにしよう。
開き直ったのが幸いしてか、約束の1930を僅かに過ぎて待ち合わせのガルーダ・スワガートに到着。ここ近辺はしごく庶民的なエリアで、照明が少なくかぐろい街並といいゴミゴミした気配といい(実際に生ゴミが豪雨で出来た水流にまみれてけっこうなカオスを生み出していた)まさにアジア的混沌の極地。たいへん気に入った。そんな中に屹立するShree Garuda Swagath Mallは電飾がキラキラ輝いて場違いなことこの上もない。もとは映画館だったのをショッピングモールに改造したんだそうな。上階にはInoxというマルチプレックスも入っている。二階には書店ランドマークがありここが待ち合わせ場所。しかし阿氏の姿を探すも見当たらず。はてなと首を捻ってるところに阿氏から電話。車でショッピングモールの前に着いたところという。
モールの前で阿氏と集合。プラバート、マーダン両君を紹介される。プ君運転の車で会食会場へと向かう。降りたところがまた好さ気な蒼古たる商店街。サイゴンの中華街を思い起こさせる。大佐から借りた傘を壊してしまったのでここで新品を購入。こういう観光客が入り込まない庶民エリアはぼったくりをやっても商売が成り立たないので正価売買が基本。買い物はしごく気楽である。
会場は北インド・レストラン。阿氏にお土産を手渡す。蚊取り線香、梅干、ニティヤのDVD、拙著。阿氏とマ君はビール(マ君は奥さんに飲酒を気取られぬようにと控えめだった、笑)、車のプ君はソルト・ラッシー、自分はインディアン・ラムのソーダ割りで乾杯。ノンベジをむしゃくしゃ頬張りながらインタビュー開始。両君とも日本滞在経験あり倭語にも達者なのでスムーズに進む。非常に示唆に富む内容であったが、詳細は来年の学会にて。
2030レストランを出る。協力してくれた両君にはいずれの再開を約してさよなら。プ君が携帯で呼んでくれたタクシーで帰宅。Rs320。
8月27日(金)
時差惚けのせいか何なのか、バンガロール滞在中はずっと睡眠障害に悩まされたが、この日だけはよく眠った。二度寝して目が覚めると8時半。朝食はプレーンパロタとオニオンオムレツ。特に不満はない。
カップ麺の昼食をはさんでずっと書き物。エアセルのシムをMiFiに挿入してAPN情報を与えると、当然のことながらWANに開通した。新加坡の詹君に見せるためだけに持参したポケットルータであるが、こうなれば話は違う。本格的に充電の必要が出て来る。珍珠女史と雑談して電源アダプタの相談する。
1600に宿を出る。アポまではだいぶ時間あるが、退社時の渋滞を予想して早目に。ここのオートは渋滞時とか深夜とか、客側の条件が極端に悪い時を除けばたいがい正直にメーター通りに走る。但しメーターには新旧2種類があって、新メーターは初乗りがRs17、旧はRs14。旧メーターの場合は換算票を確認して運賃が請求される。10時以降は深夜割り増しが加算されるので計算がさらに複雑になる。旅行者が計算式に慣れないのをいいことに法外な値段をふっかける連中もいるから、この時間帯は新メーターを探した方が無難である。観光地に屯ろしているゴマの蠅はこの限りではない。奴らは相手が外国人旅行者であろうとインド人であろうと関係なくぼったくることを生業としているから、無論メーターでは絶対行かないし、値段交渉しても時間の無駄である。遠ざけるに如くはない。
事前の深慮はものかわ、半時間足らずでガルーダ・スワガートに着いてしまう。待ち合わせ時間まで2時間もあるので界隈をぶらぶら。下町風商店街あり、また閑静な住宅街あり、けっこう住み易そうなエリアである。次回はこのあたりに投宿してみるのも面白いかも知れない。本日の会場のThe President HotelをiPhoneのマップを頼りに探すが結局到達できず。おおまかな位置把握には効果的だが精度にはまだまだ改善の余地があるようだ。嗅覚が働いたのか、何か感じる小路に踏み込むと、うねうねと回って昨晩のサイゴン中華街風の商店街に出た。これで位置関係が把握できた。頭の中で三次元マップが完成すると何年経ってもだいたい道順を間違えることはない。安心して降り出した小雨のなかアポ場所のランドマークへ戻る。
テルグを中心にディスク漁りをしているうちに程なくして阿氏登場。二人してさっきの道を戻り、さらにカリプソとテンプテーションMで買い物。これで必要だった光碟はおおむね揃った。会場へ移動。1930からホテル1階のレストランISYSでインタビュー。先着のテルグ人2人組ヴァルダン、タゴールの両君から聞き取りを開始。程なくニシャン、ナレンドラ君も合流。ニ君は生粋のバンガロールっ子。ナ君は数年前のラクシタ・インタビューの際にチャイトラちゃんの付き添いで来てくれたマハラシュトラ人である。久闊を叙す。内容に関しては例によって別の機会に譲るが、テルグ語映画の流行をAP州の政治動向の変化にからめて語ったタ君の話が抜群に面白かった。
アルコールも入って大いに盛り上がりフリートークへ。やはり女優萌え話。2230頃解散。食事の請求額を見て一寸ぎょっとする。昨晩のタクシーの運ちゃんに電話するも応答なし。流しのオートを拾って帰宅。アルンが電源アダプタを用意していてくれた。
8月28日(土)
またしても早朝5時代に目が覚める。年寄りは早起きというのは本当だ。昨晩の面接の内容を整理しようとするが気力無くばんやりと天井でファンが回っているのを見つめる。
0830に朝食して今日の準備。大佐に電話。プニート進展なしとのこと。シャワー浴びて1130に出、オートでガーンディナガルへ。Sapna Book Houseで光碟を漁ってる阿氏とランデヴー。特に欲しいものなし。おねーちゃんが怪しいサービスをしてくれる(かも知れない)バーに関する話題に盛り上がりながらバンガロール大学外国語学部へ向かう。
外国語学部は大学のクリケット・フィールドのちょうど裏。Palace Rdに面している。もとは学生寮だったという旧式の建物に圧し込められている。人文系の学問が歯牙にもかけられないというのは低開発国ではいずこも同じ(日本も例外ではない)。非常に親近感を覚える。秦先生いまだ見えず。先に笹野先生にご挨拶。お土産のDVD差し上げる。たいへん喜ばれていた。嬉しい。まず笹野先生の生徒さんに面接。中級クラスなので英語でやる。中のひとりムルドゥラさんはハリハラン監督と同郷。お父さんが中学校の先生でハリハランを教えたことあるという。ハリハランは映画界入りを両親に反対されてチェンナイへ逐電したのだという。秦先生NPOの日本人学生と共に登場。スケジュールを調整。授業の終わりに面接させてもらうことに。
マジェスティックのアーンドラ料理屋でベジミールス。阿氏はサンバル類が造り置きだとちょっと不満そう。印刷屋でアンケート用紙をコピー。どうにも要領悪く、しかも店頭では女主人と客がわずか5ルピーの釣り銭をめぐって罵倒しあってるところが如何にもインドらしくていい。1430に戻って秦先生のクラスで面接。こちらは上級クラスなので最初だけ英語でやってあとは日本語で通す。らくちん。秦先生に夕方のハイヤー・ディプロマのクラスにも問巻調査お願いして1515その場を辞去する。
オートでコラマンガラへ。待ち合わせ場所はHotel Aspasiaの日本料理屋Fujiyamaのベランダ部屋。日本語学習者の会がここを溜まり場にしてるらしい。幹事役のラオ、グルソン両君に挨拶。三々五々会員集まる。1700ごろ面接開始。途中、豪雨落雷停電にもめげず12名に日英両語でかなり詳しい情報がとれた。つきあってくれた皆さんに感謝。
1930、NPO学生と一緒に有志が近くの中華料理屋に移動。インドにしては割とマトモな中華を出す店だった。啤酒で乾杯。可愛い日本語初心者に阿氏の目キラリ。皆盛んに飲み食い。日本語、英語、カンナダ語、ヒンディー語が飛び交う。席を離れて大佐へ電話。プニート脈なしの公算大、次回は候補者を練り直すのも必要か。
2130にお開き。グルソンが止めてくれたオートで帰宅。ここは軍用地をはさんで100 Feet Rdに一直線なので宿まではあっという間。シャワー浴びて2230くらいに就寝。
8月29日(日)
0600起床。インタビューの整理。PC入力。朝食にはマカロニのカレー炒めという珍妙なものが出た。
1300大佐宅でランチおよばれ。奥さん手作りでチキンビリヤニ。大佐が順子ライヴィンドランさんに電話する。伝説的な日本料理屋「播磨」のかつてのオーナーでバンガロール駐在日本人のお母さん的存在であった女性。大佐は順子さんとは古い知り合いで、播磨オープン直前には順子さんがコックを何人も引き連れて大佐宅へ訪れ、試食をさせたそうだ。播磨は辻本氏の手に渡り、2もしくは3店舗展開してるらしい。私もご挨拶。伊丹のpet pithの話題。子供さんがアメリカにいるので、もうほとんど日本に来ることはないという。プニート無音に関してはアンバリッシュ経由に問題あったかも知れないとの分析。カンナダのスター勢力地図は未だ不明な点が多い。次回候補選択のためには大幅な復習必要か。
1400、ガーンディナガル。電源アダプタを探す。Kempe Gowda Rdの向こう、BVK Iyengar Rdの照明器具店が並んでいるあたりで同型のアダプタをゲット。おおぶりで嵩張るが多機能で使い勝手よし。1430、外国語学部へ。休み時間は済んでいた。ハイヤー・ディプロマのアンケート用紙は阿氏が受け取っていてくれた。感謝。笹野先生におせんべ渡して辞去。今後の方策を暫時阿氏と鳩首するが結局下宿に引き上げることに。
1500オートでインディラナガルへ。混雑避けてウルソール・マーケットのバザール・ストリートを突っ切る。シヴァ寺院ある辺りはタミル人エリアであるとの由。カントンメントのはしっこ。要するに東インド会社軍の使いっ走りをしてたタミル人が住みついたというわけ。帰宅。阿氏に指摘されてはじめてシャワーのお湯の出し方を知る。恥なり。明日の便の漁夫王にネットチェックイン。最後尾の席を確保。宿のPC使う。プリントアウト必要のため。ベランダでコーヒーのみながら雑談ののち出かける。MGロードへ。1730に蜜柑一筆さんと待ち合わせ。蜜柑一筆さんは花隈会館さんの上海時代の友人で、マイソールからハンピをまわってきた帰り。St Marks RdのKoshy's Parade Cafeで夕飯。ここは独立前からある有名なパン屋が開いた食堂らしい。ハイボールにチップス。美味なり。バーの前で若い娘ふたり喫煙してる光景目撃して仰天。女性で水商売以外で喫煙者は生まれてはじめて見た。さすが西洋化の進んだバンガロールである。
2030、タクシーで空港に向かう蜜柑一筆さん見送る。胡麻のハエ避けてブリゲートからオート拾い帰宅。パッキングの準備して2330就寝。
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