8月30日(月)
0330目が覚める。それ以上眠られず。シャワー浴びて(初めてのお湯である)パッキングの残り。時間余ってPCで書き物。
0500にアルン起こして朝食作ってもらう。チェックアウト。総計Rs13800。大佐の話どおり一泊Rs2300。今のレートでは4000円余りか。このサービスと居心地の好さからすると充分に合格点。紹介してくれた大佐に感謝。
0700に宿を出る。アルンにチップRs1000。予約したタクシーで空港へ。1時間足らず。Rs670。
0800に機場着。ウェッブチェックインなのでスムースに事が運ぶ。セキュリティで一悶着あったが何とか無事ゲートイン。テロリスト対策なのだろうがインドの空港の警備体制見るとこの国がある種の臨戦態勢にあることがよく分かる。或いは単に兵隊の数が余っているだけかも。
0930に予定より早く離陸。前回の轍を踏まぬよう今回はチャッパルではなくちゃんと靴を履いてきたが(別に駄洒落ではない)やはり乗客はビジネスマンばかり。みんなシレッとして新聞を読んでいる。一組だけ場違いな労働者(農民?)風がいて大はしゃぎしているのが異様に浮いている。
定刻の1030にコインバトール空港に着くが、外に出てもおとーさんの姿なし。暫時待って電話すると未だ家にいた。午後1時着と勘違いしていたらしい。
これからすぐ出るというが、パーラッカドからはどう勘定しても一時間半くらいはかかるので腹をくくって待つことにする。といってもここはインド、しかも地方都市。冷房の利いた待合室とか手頃な喫茶店とかそんな洒落たものがあるはずもない。雨に降られても困るのでデパーチャ・ウィングの端っこのチケットオフィスの隅でぼんやりと周囲を眺める。手持ちの文庫本を読むというのも考えないではなかったが、こういう環境で周囲を無視して読書に耽られるほど肝っ玉はすわっていない。だいたい本屋と列車の中は例外として、インド人が屋外で読書に勤しんでいる姿を目撃したことがない。
晴天で風が強く(一寸埃っぽかったが)涼しいので助かった。1時間余の人間観察は実に面白い。小旗を掲げた大型メルセデスが停車すると、中からでっぷり肥満した強欲そうな親父が降りてきた。純白のシャツにドーティ。同じ装束の奴らがわらわらと駆けつけては出迎える。どうみても党の大物。こういう風景は映画では見慣れていても実際に目の当たりにするのは初めての体験。聞けばなんとか大臣がこの市に来ていたらしい。
しかし隅っこでキャリヤに腰降ろして目立たぬようにしていたとはいえ、見知らぬ東洋人が長居していても、不審に思って誰何してくるどころか関心を払おうと者がひとりもいない。小とはいえここは人の集まる空港である。いったいセキュリティはどうなっているのか?自動小銃さげた警備兵は暇そうにそこらをぶらぶらしてるだけ。やはりサウスは平和なものだ。
携帯を充電しながらぼんやりしているうちにおとーさん到着。ハリ君と二人に久闊を叙す。先程のパーティ・リーダーのこと話すと車中でしばし政治ネタの会話。タミルではDMK政権が安定しているが(中央政府コングレスとの提携が評価されているらしい)カルナーディニの爺さんがおっ死んだら大騒動になるだろうとの予想。誰もスターリン後継を受け容れないだろう。対してジャヤ様はひどく旗色が悪いらしい。そういえばネーハはおめでただそうだ。さすが繁殖力の強いインド人。おとーさんがShe is carrying.と古風な表現をするのが可笑しい。
お昼はSri Angannan Biriyani Hotelへ。昔からある有名なビリヤニ屋なのだそうな。何やらん白くて柔らかそうなのを炒めた代物が付け合わせに出たので一口齧ってみる。これはchicken brainsかと訊くと当り。こんなのが名物になってるとは、流石の伝道師も夢にもご存知あるまい。
帰路もハリ君の運転で自分は助手席に。相変わらずテクは凄いが仲々にスリリング、というより一寸恐い。落ち着く暇がないので瞑目してるうちにウトウト。目を開けるとパーラッカドの手前だった。
ハリ君のオフィスの近くの売店でカードをRs1000分リチャージ。機場からここまでは問題なく動いたがタラヴァッドではどうか。
一旦ハリ君と分かれておとーさんの運転で出発。郊外の水田が次々に宅地開発の用地として買収されているという。都市部では激しくバブってるのでコーチンで小区画を高値で売った連中が土地の高騰を目当てに投資目的でここいらの農地を買い漁っているらしい。この道はいつか来たみち〜♪である。
タラヴァッド到着。須田ちゃんに挨拶してお土産のココア渡す。相変わらず激しくカワイイ。やはり永遠の美少女である。おとーさんから事業拡張のプランを聞く。金儲けの話題となるとインド人はすごく嬉しそう。いつもの取ら狸が入ってるのだろうと思うが、とりあえず興味深そうに拝聴する。結婚式場用地跡にバンガローを5つ建築してプールも設けるとか。それって沐浴用なのと訊くとスイミングプールだという。ムンバイで開かれた同窓会で、欧州人客にはプールが必須だと、ドミニクはじめCGHの連中に吹き込まれたらしい。まあ白人連中はオンシーズンに日光恋しさ避寒のために来るから水遊びも歓迎されるだろうが、こんな辺鄙な小村の中にスイミングプールってちょっと浮かないか?新しいファシリティは一挙に展開するのではなく、一軒建てて儲かれば次のバンガローに着手というふうに、ヒット&アウェイ戦法でゆくというのが、天下のCGH集団とは違うところで微笑ましい。一応キッチンもそれなりに付属してはいるが、ホリディに来てわざわざ手の込んだ食事を作る奴はいまい、その場合は旧館でオプションで飯を出して儲けるんだと嬉しそうに揉み手しているが、そんなボッタクリして客が逃げんか?そもそもキッチンあるってたって食材をどこで買わそうというのかな。村には一軒雑貨屋があるだけなのに。
須田ちゃんが帰る前に上映時間を調べてもらう。何せ新聞はマラヤーラム文字オンリーなので悉皆読めず。マ様の文芸ものは残念ながらやっておらず。ニティヤ新作の上映を確認。明日行くことにする。
偖、問題のネット接続はどうだったか。公道ではシグナル拾ってたが村に入ると急激に微弱になる。タラヴァッドでは使い物にならず。Vodafone IN、AirTel、Idea、Docomo TATAと次々に試すがいずれもコネクション張るに至らず。残念ながらメールチェックは町に外出した時に済ますしかなさそうだ。
ハリ君来て2000くらいからディナー。ドリンクはジン+ソーダ。どういうわけだかソーダが品薄になってるとか。明日はダークラムを買っといてくれるらしい。感謝。メニューは、フライド・オニオン、パロタ、チキンカレー。色々と話し込んだが2100前にお開き。自室に戻って蚊対策を万全にしてから就寝。
8月31日(火)
0530に朝市に出かけるおとーさんに随いて外出。朝から晴れ渡って好日。今年はモンスーンは雨量多く収穫にも影響が出ているとのこと。
町に近づくとエアセルの電波を拾う。連れ合いと生徒のリトル林にメール。推特をチェックしてシッドゥの新作180のロケが最終段階にさしかかっているのを確認したうえでニティヤにメール。
茶店でチャイを一杯飲んでいつもの鮮魚市場へ。その後須田ちゃんの家に行って彼女を拾う。
帰宅して朝食。0800前。トーストにオニオンオムレツ。その後ケーララの寺院委員会に関してミニ講義を受ける。たいへん示唆に富む。詳細は別項にて。
おとーさんは行政書士のところへ出かける。昔からしてる就学支援の基金を財団化するための手続きだとのこと。タラヴァッドに残ってミニ講義の内容をノート。ロング&リトル林に見せびらかすために須田ちゃんフォトを撮る。
フィッシュ・カレーのランチの後、1300頃再び町へ。おとーさんは歯医者に行くという。ハリ君の事務所に寄ってPC一式を預けてから映画館Priyaの前で降ろしてもらう。パーラッカド・タウン駅の近くで古くからある下町の中。映画館が4館くらい集中していて一種のシネコンを形成している。Apoorvaragmを上映しているPriyatamaへ。バルコニーと一般席の区別のない小規模館、といっても劇場はシネコンのワン・ホールよりは大きい。Rs40。1320に上映開始。監督歴25年を誇るシビ・マラヤルの作品であるが、う〜ん、どうかなあという出来栄え。但しこちらはニティヤの演技だけを見ているためストーリーは余り関係ない。中産階級女子大生という役柄はニティヤによく嵌っていたが、リップが赤すぎる(つまり白塗りしてる)というのが一寸気になった。この娘はシリアスな表情をして口をちょっとつぼめている時がいちばん美貌が栄える。屈託なく笑うと(それはそれで可愛いのだが)顔全体に占める(インド美女だからとうぜん小顔である)口の割合が大きすぎるように見えるのが気になる。インターミッションに隣席のあんちゃんが声をかけてくる。マンムーティのファンで村から40分くらいかけて映画を見に来たと言っていた。インド映画の繁栄を支えるごく一般的な観客のサンプル。
1600前歯医者帰りのおとーさんに拾ってもらって再びハリ君の事務所へ。おとーさんは口の中に麻酔がまだ残っているとこぼす。オフィスにハリ君はいなかったがパートナーのシャレジ(Sharlej)氏のデスクを拝借してMiFi経由でネット接続。またも委員会の開始時間を変更した企画グループにクレームのメール。なんで南印の田舎にまで来て職場の会議の日程の調整をせねばならんのか。連れ合いと母、ロング&リトル林にも。阿氏のブログにコメント。臉書のコメントをチェック。
1730、買い物が済んだおとーさんに拾ってもらってタラヴァッドへ帰る。シムを柔堤に入れ替えてVodafone INのシグナルを拾い母に電話。倭国はまだ地獄のような暑さらしい。ベランダで雑談していると蚊が嵐のように来襲。雨が続いたあとの晴天の日には蚊が凄いらしい。音波虫除けを動かすとさっぱりと消えてなくなった。全般的に天竺國の蚊は倭国に比べて軟弱な印象がある。噛まれると痒いが長くは持続しない。飛び方もそこはかとなく女性的で片手でもすぐに掴んで殺すことができる。夕食の前にシャワー。
1930、ハリ君来て食前酒。おとーさんとハリ君はウィスキー。Royal Stagというシーグラムの銘柄で軍隊御用達。一般にも売られてないわけはないが軍隊流れの方がクオリティ高いとのこと。自分はダークラムのソーダ割り。おとーさんは微醺の態で不仲の親戚の話をし出す。4歳年上の実兄だが、30代前半に亡父の財産を継承し10年余りで蕩尽したという破天荒な人物。先代は若いうちに家を出て脱穀の事業で一財を築いたという。晩年は完全にお館様生活で、一日中、館(町中にあったという。おとーさんの実母が住んでいるところか?)のベランダに陣取っては自カースト内の紛争の調停に明け暮れていたという。長男は父の起こした事業(バス会社やホテル・チェーン)を全部売り払い、チェンナイで酒と薔薇の日々をおくったそうな。羨ましい話。しかし重度のアル中から立ち直って断酒に成功したというのだから凄い。ラクシュミの結婚式の時には頼まれもしないのに全部独りで仕切って、後片付けを放棄して逃げたらしい。姪への引き出物に新車を一台贈って代金はおとーさんの方へ回してきたというから豪傑である。ヴィシュヌの結婚式にも招待したが結局チェンナイへ行って参列しなかった。この人物にしておとーさんの子供たちは苦手というから面白い。ラクシュミとヴィシュヌは伯父に対して遠慮会釈なくずけずけと口を利くからという。
ポテトフライ、ロティ、チキンカレーのディナー。微温湯に登場したマンダル君の話題など。前回ハリ君のオフィスで呑んだとき日本の温泉の話をしたからである。夜も更けてきたので2100前にお開き。就寝。
9月1日(水)
今日はクリシュナ神のお誕生日で休日である。
0530起床。おとーさんと一緒に須田ちゃんを迎えに出て朝市のチャイ屋で一杯。チャイ・メーキングを動画に撮る。講義で使えるかも知れない。メールチェック。特に重要な報告はない。
0630帰宅して朝食。カスタードアップルという珍しいフルーツが出た。種は多いが果肉は柔らかく甘い。
おとーさん出かける。町に滞在してる伯母さんをコーチンまで送っていくのだそうな。伯母さんは結婚して旦那の弁護士と一緒にコーチン住まいらしい。一族はだいたいパーラッカド周辺にいるようだ。他に海外居住の親戚はいるかと訊くと、従兄弟で精神科医というのが長年ブルネイの王族をクライアントにしていたが、けっきょく市民権を得られなかったので今は豪州でクリニックを経営している人がいるとのこと。オンシーズンにトリシュール郊外のお祭りを取材に米国からジャーナリストが2人来る予定だそう。コーチンへの途上その村を同定してくるらしい。何でもおどろおどろしく化粧した数人が日本のナマハゲみたいに各戸を訪ねてくる儀礼だそうだ。興味深い。
ランチをはさんでタラヴァッドで只管PCに向かって入力。今日のランチはドラムスティックのカレー(サンバル)。柔らかく煮込んだドラムスティックは中身を美味しく頂けるものであることを知る。須田ちゃんとお喋り。妹が今年カレッジを卒業するらしい。うりうりの動画見せたことがきっかけで動物談義。須田ちゃんは蛇が好きだという。いかにもインドの女の子らしい。今日から俺も蛇を好きになるぞと決心。村にある蛇塚の話題など。蛇塚は単なる崇拝の対象で実際に蛇が住んでることはほとんどないとか。
1300、オートでハリ君のオフォスへ。シャレジ氏に挨拶。ハリ君のデスクでメール処理。M亀先生のブログにちょっとカキコしたりする。あとはひたすら宿題のマハリンガムの原稿に没頭。和尚の文章がちょうど文学的表現の多い部分にさしかかって苦闘。文学的ロジックはその言語独自のものがあるから簡単には英語には移し替えれない。
1615、ハリ君迎えに来る。クリシュナ寺院へ。祭のための巨大な仮設の門や道路の両側にずらっと並んだ屋台、9頭の象さんなどをカメラに収める。個人の飼い象で祭に提供されたもの。皆は用意された飼料を象さんに捧げものする。移動。母親に電話。没問題。途上クリシュナとアルジュナに扮した子供たちがトラックの荷台に乗ってるのを動画に撮る。なんかヒジュラみたいのもいたような。夕方には子供たちの行列が町中を練り歩いて、最後にはさっきのクリシュナのお寺に集合する。お茶飲みに行こうというのでハリ君の別のオフォスへ。こちらでは友人とChits Fundをやっている。日本にもチット・ファンドあるかと訊かれたが答えようがない。チット・ファンドはインド独自のものだから。民間の「講」のようなものか。インドではそれを政府主導で運営している。出資法や銀行法の喧しい日本では考えられない。
次に射的場へ。ハリ君のひとり息子ハギスが友達と一緒になって練習している。コーチに挨拶。何でもハギスは明日から3日間トリヴァンドラムで開催される射撃の州大会に県代表メンバーとして参加するらしい。シニア部門には警官や軍人も出るというから本格的な大会だ。上位入賞すれば十月にデリーで開かれる全国大会に進出するという。ハリ君は息子に付き添ってトリヴァンへ行き3泊するらしい。微笑ましい親バカ。
1730、帰宅してシャワー。1830、昨日のRoyal Stagを隠し持ってインドラプラスタへ。町中で大型トラックが列をなして停車している光景を見る。ハリ君の話では積み荷はぜんぶ酒だとのこと。オーナム休暇で酒蔵がからっぽになってしまったので工場から運んで来たものだそうだ。ケーララはインド随一の酒飲み天国だぜと言ってハリ君は自慢そうに笑う。ホテルに到着してハリ君がレセプションでマネジャー氏と何かごそごそ密談。要するに今日はドライデイなのでホテルの一室を借り切って人目を憚って酒盛りをしようとの算段。朔日の禁酒は7年ほど前、当時の州首相(現在の中央政府国防大臣)だったAK・アントニーが導入したもので、労働者が月末のサラリーを蕩尽してしまうのを未然に防ぐのが目的だったらしい。他の禁酒日としてはガンジーの誕生日、当州で有名な社会改良家の記念日などがあり、独立記念日や憲法記念日などは特にアルコールを禁じるものではないらしい。
1930頃おとーさん甥のプラシャーント氏を伴って登場。酒盛り開始。放歌高吟。出てきたメニューにChinese Fried Chickensと称するのがあって、これは中華料理かと訊くので、こんなのは中国にはない。そもそも中華料理というのは四大料理の系統に分別され…とひとしきり蘊蓄を披露。満漢全席の話にプラシャーント仰天。ホテルの給仕長を呼びつけて、こんなのは中華じゃないじゃないかとクレームをつける。完全な酔っぱらい。給仕長はマスタード・オイルでフライするのが正式なのだがと頻りに弁明する。お気の毒。
2130くらいにお開き。おとーさんの車で帰路に。途上プラシャーント降ろして2200に帰宅。歯を磨いて就寝。
9月2日(木)
0600起床。コーヒー飲みながらハギスの射撃大会の話題になる。インドでは銃刀法が厳しいというが、よく聞くと日本ほどではないようだ。小銃も入手可能。但し猟銃は不可。密猟を防ぐため。厳しい禁猟のかいあって野生象の数は着実に回復してきているようだ。というか、実は数が増え過ぎて弱っている。こないだなんかハリ君の隣家に夜中に野生の象が来てパパイヤの実かなんかをむしゃむしゃ食べて大騒ぎだったらしい。ライフルは象を追っ払う時にしか使えない。タミルとのチェックポイントの辺りにはしばしば象が出没して交通に障害になっているという。もうひとつ面白いのは選挙の前になると銃火器は悉く警察預かりになるということだ。インド人のあの熱狂ぶりを思えばさもありなん。それとは別に密売銃は横行しているという。
PC入力。0830に出てラーマッセリ村の名物イドリ屋Sree Sarasiwaihy Tea Stallへ向かう。2年ぶりに来るがちっとも変わっていない。極めて美味。マサラパウダーにココナツオイルを混ぜたもの、ココナトチャトネと一緒にいただく。おとーさんはわざわざテーブルクロスと鉱泉水を準備してくれていた。上がり框に「Tea Rs50, Kedi Rs50」と貼ってあるのでケーディって何かと訊くとCoffeeの間違いだという。でもタミル語ではKapiという言葉があるから、それがマラヤーラム語に変異したものかも知れない。

市内に戻ってまずFederal Bankへ。おとーさんが銀行へ行ってる間にあたりを散策。好さ気なお寺があったので撮影。バナナチップスをRs15分買う。食べ出したら止まらない。インドでいちばん美味いものではないかと思う。次にHDFC Bankに寄り床材屋に行く。床材ってもインドだから木材とは限らず。大理石や御影石を大量にとりあつかっている。台所のキッチンテーブルを新調する由。
帰宅。ランチをはさんでマハリンガム原稿。進まず。村で電柱の立て替えをしてるので今日も停電。PCのバッテリーが持ちそうにない。須田ちゃんに日本語表記の構造を例文をまじえて教える。たまにNHKを見るそうだが英語のダブになっていて日本語に触れる機会ないのが悩みとか。日本語ベーシックのCDを買って来ることを約束。1430頃バッテリー尽きて仕事は中断。自室でうとうとする。天井のファンが動かないので少し暑い。が、好い風が通る。蚊も入って来る。おとーさんのお館様声で目が覚める。電話で誰かと盛んにやりあっている。迫力ある。
シャワー浴びて1730くらいから軽く一杯。おとーさんはビール、自分はハイボール。巡回劇団の話。おとーさんも子供のころ見たことあるという。劇団は祭時を選んで来るのではなく、常時地域を巡回しているのだとか。内容は政治風刺から物真似まで、パッケージ化された総合娯楽であったようだ。今日でも共産党は盛んにプロパガンダに演劇を使っているが、テレビの普及(共産党は独自のテレビ局を持っている)によりいずれは廃れて行くのではないか。いずれにせよ映画・演劇をふくめた俳優と党の結びつきは強い。女優などは行政単位ごとに行われて参加者が勝ち上がってゆく方式の歌舞音曲の大会から選抜されることが多い。バラタやモヒニアタッム、フォークダンスなど。学校のクラブありそこから競技会にエントリーするが、基本的には近所の踊りの師匠について習ってるらしい。大会は年一回、1月に開催。場所は一定せず州の各都市で持ち回りで開かれるようだ。色惚け中年としては是非拝観したいところ。
1830市内のムスリム料理屋Noor Jehanで夕食。雲呑の入ってないWontang Soupとアッパム、ビーフカレー。ビーフがけっこう美味い。おとーさんはマトンカレーとウタッパム、須田ちゃんはベジカレーとアッパム。所謂インディアン・チャイニーズのメニューも充実しており、官庁街のど真ん中にあるため(市役所と裁判所の中間にある)ランチ時は混み合うようだ。インド中華のメニューには、香港、四川、満州などの形容詞あるが、Manchuriaはチリを多用したものを指すようだ。Szechwanとの区別分からず。伝播の経路も含めて今後の調査が必要。ちなみにこの田舎町には中国人は皆無だそうだ。その代わりネパーリーがモンゴル顔を提供している。
須田ちゃん自宅に送って2100くらい帰宅。やっと電力回復していたので自室で原稿の続き。完成せず。諦めて就寝。
9月3日(金)
夜中に何度も目が覚めた。蚊の襲来のせいか。ちょっと睡眠不足。
朝0700におとーさんの運転で出発。幹線道路がトリシュールまで抜ける山間部は相変わらずでこぼこで渋滞する。ここの峠にはシャバリマライの末社があるらしい。末社はここにしかないということだ。途上コインバトールのゴマの蠅の話題。政治家と警察がツルんでるから百発百中でボラれるという。市民はバスを使い誰もオートには乗らない。四輪以上の値段ふっかけられるのは間違いないからタクシー呼んだ方がなんぼかましというから凄まじい。
プリヤちゃんの立て看を写真に撮ってると、おとーさんが知人のプロダクション・マネージャに電話してくれてプリヤちゃんの電話番号聞き出す。バンガロールにいるらしい。おとーさんは映画は見てないがテレビのインタビューかなにかで見たらしい。声が今イチだなと言う。やはりあの地声は(一般的なヒロインの声音としては)一般のインド人にはなかなか許容されにくいもののようだ。プリヤちゃんの声の魅力について力説。
0830くらいトリシュール手前のIndian Coffee Houseで朝食。マサラドーサとオムレツ、コーヒー。おとーさんプリヤちゃんに電話。日曜日にちょっと会えないかと問い合わせ。生憎兄弟の結婚式で多忙とのこと。残念。あの地声だったかと聞くとそうだとの返答。興奮。次回必ず捕捉するぞと心に決める。プリヤちゃんのパーソナル携帯番号をゲットしたことを阿氏にメールで自慢。
家鴨を山積みにしたトラック見る。田んぼの虫駆除と卵のために飼うらしい。痩せてるのであまり食用にはならないとか。しかし久しぶりにヤーロウを見て垂涎する。しばらくマトモな中華を食っとらんなあ。最近渡印すると毎日友人と酒盛りしてるのでインディアン・チャイニーズを喫する機会は多いのだが。そういえば朝方にバイクの荷台にニワトリ満載した籠をくくりつけて疾駆して行く奴の姿をたまに見るが、あれはニワトリの密輸だそうだ。州境税を免れるため人気ないルート使ってタミルから運んでくるのだとか。
トリシュール迂回して南下。途上どうもエアセルのシグナルの拾いが悪いのでシムを最挿入。回復。おとーさんの電話鳴る。出るとプリヤちゃんのお母さん。娘の携帯電話に見知らぬ履歴が残っていたので怪しんでかけてきたらしい。さすが辣腕で鳴るステージママ。ロウティーン時代から娘をプロデュースしてきただけある。右折してアッルール村へ。例のアメリカ人ジャーナリストが取材したがってるPoothanam Thiraの祭行われる場所。ナーンブディリ・ブラーミン所有になる寺院あり。因業そうなおっさんおばはんが出入り。しかし連中たしかに(日焼けしてるが)色は白い。おとーさんが交渉にあたるがどうも話が巧く通じない。屋内で儀式やってたチャータン(拝み屋)がそのアッルールは別の場所だと指摘。その場を去る。
北上。今度はトリシュール突き切ってグルヴァユール方面へ。市内は渋滞がひどい。コーチン並み。もうひとつ重要なお寺のあるのに気づく。再訪を期す。チャータンの教えてくれたアッルールは山の中にあった。寺院見当たらず。ただ踊りの師匠の家知ってるというオートの運ちゃんいるので案内させてさらに山中へ。師匠と会って話すがなんか通じてるような通じてないような。壁にはってあったポスターから踊りはテーヤムみたいなもんと知る。
グルヴァユール着。1230にクリシュナ・インのTulasiでベジミールのランチ。お寺へ。映画で見慣れた門前町目の当たりにして感動する。ここのアーケードはイースト・ナダ(East Nadha)というらしい。東西のナダがあって東門の方が賑やかだとか。ミューラル(壁画家)養成学校へ。デーヴァスワム委員会が運営している。ここは寺町なのでデーヴァスワム委員会が管轄する施設がやたらにある。巡礼のための廉価な宿泊施設、食堂など。門前右手の店舗用高層コンプレックスも委員会の所有でテナントの商店に貸しているのだとか。トリシュールで目撃したDevasuwam Auditoriumも委員会の施設で、結婚式やコンサートをふくめた催し物に用いられるのだという。広く文化事業をとりあつかう機構なのである。
おとーさんがトゥータナム・ティルラのことをミューラルの先生に相談してる間アーティストの作品を見物。タラヴァッドにあるガナバッテンの壁画がここの様式で描かれていたことを知る。この学校からアーティストを招いて二月半かけて完成したのだとか。独自の魅力ある壁画の数々。グルヴァユールの寺院の壁に描かれているのも同じ。写真見ると建築様式はトリシュールの寺院と非常によく似ているのが分かる。
寺院を外から見学。ラーマーヤナの朗読をやっている。前席の女性たちは熱心に聴いているが後ろのおっさん連中は自堕落にごろごろ。鼾かいてる奴もいる。テンプル・ポンドにタントリの宿舎など。流石クリシュナの御座所だけあってゴーヴィンダとかゴーピカとかいう名称の施設がそこかしこに。
車でアナコッタへ。ここは以前Punnathurkottaと呼ばれ王宮があったが現在はグルヴァユール付属の象の厩舎となっている。Anakkotta(象の砦)の名称はそこから。鶏舎の大規模なものを想像していたがぜんぜん違う。厩舎というよりエレファント・パークと言っていい。65頭の象が広大な地所の中でのらりくらりしている。子供連れの観光客が何組も象の遊ぶ様子を楽しそうに見物している。確かにインド人は度外れて象好きな民族だ。そもそもグルヴァユールに象を寄進するのはたいへんな名誉。頭数は決められてるので一頭が死んでからしか新たな寄進が受け入れられない。寄進待ちが何十頭分もあるという。現在の象の中にはジャヤラームが寄進したのが2頭、ジャヤ様が寄進したのが1頭いる。
UAE ExchangeでTCを$800ぶん換金。ホテル(食堂)でお茶しながら時間を潰す。やはり沿岸部は内陸部と比べて湿気高く蒸し暑い。インドに来て真剣に暑いと思ったのは今回これがはじめて。
1600ミューラル学校に戻る。先生が踊りのオーガナイザーを呼んでくれていた。聞けば正しいアッルールはまた別の場所だという。グルヴァユールから割と近所。今日訪ねた二カ所はどちらも違う場所だったことになる。おとーさんが交渉してる間にうつらうつら。
1700前グルヴァユールを去る。ハリ君から明日戻るとの電話。途上*に寄っておとーさん塗料を買う。ここは以前は寒村だったが近くに出来たゴム園の景気で近年急速に人口が拡大したところ。商店街には新開地らしい活気がある。
今回も色々な立て看見たが、数的にはラクシュミ・ラーイといくわよちゃんがトップ争い。僅差でラクシュミ・ラーイの勝ち。シルク店のEmmanuralと宝飾店JOSCOを抑えているのが勝因。トリシュール近辺では電柱ごとにポスターがあるのだから強い。ラクシュミ・ラーイをインドの山田優と指摘した人物がいたが、ラクシュミ・ラーイはサリー姿でも洋装でも美人に見えるのに山田優は化けもんにしか見えんのは何故か。彼女はマンガロール出身だからトリシュールとは何の縁もないはず。広告主か広告会社のお気に入りなのかもと想像する。対してバーヴァナは業種問わず万遍なく露出している印象。シルク屋のPulimoottilの大看板が目立つ。出自は知らないがトリシュールに関係ある経歴なのか。二人に肉薄するのがプリヤちゃん。靴のブランドや貴金属など。他の女優はほとんど見かけず。バンガロールで嫌というほど見たカリーナ・カプールは影すらなし。田舎ならではの望ましい傾向。山田優が化けもんならこっちは妖怪の親玉だ。思い出したら夜中にうなされること必定。おっさんは圧倒的多数でラルさんの一人勝ち。何故かサラットクマールとのコンビの大看板が目立つ。次にジャヤラームのシルク屋の宣伝。マ様、ジャヤラームなど。ヴィニート君もちょこっとだけ。意外とジャガティ先生を見かけなかった。イノセントとJPACラリタの中年名脇役コンビの寝具(?)の大看板には笑った。訂正。2位はたぶんゴーピカ・パドゥコーネだろう。移動体通信と貴金属の宣伝が多い。しかし演技してるとこを見たことないので単なるモデルとしか思えない。
1930帰宅しプラシャーントと他1名とともに一杯やりながら夕食。ここ近辺で高名になったチャータンの話題。メルセデスを乗り回しトリシュールに金ぴかの御殿をおっ建てたのだそうな。中部ケーララではトリシュールはチャータンの中心地として知られてるらしい。くだんのチャータンは市バスにも宣伝の看板を出しているというから豪毅だ。
2100前お開きにしてシャワー浴びて就寝。
9月4日(土)
また途切れ途切れにしか眠れず。0400に目が覚めしばらく瞑目しているともの凄い土砂降り。叩き付けるような雨音聴いてるうちにウトウト。0530には止む。パソコン借りて漁夫王とSQをウェッブチェックイン。0600くらいに出かける。須田ちゃん拾って朝市に。須田ちゃんはこほんこほんと咳している。
朝食後PCに向かう。今日は停電ないらしいので気が楽だ。ひたすらキーボードを叩く。ランチはさんで民間の憑依儀礼の例を聞く。その種の儀礼がカースト制と関係している点が興味深い。昨日までに蒐集した宗教儀礼と現代インド社会との関連をノート。寺院の運営管理に就いてなどは文献からは容易に知られない情報なので貴重。おおむね全体像はつかめた。しかし特定地域限定のものも混じっているので州ごとの相違をつめてゆくことが今後の課題。
1月に米人ジャーナリスト来た時にKalamezhathu Pattuを見せるのを計画中とか。Kalamezhuthuともいうらしい。カラム(地上絵)を描いてその周辺で讃歌を歌い招魂するという儀礼。ポッラヴァン(Pollavan)という特定のカーストが行う。音楽終わった後に巫女に蛇神憑依し、審神者の問に答えるという。話を聞いてるうちにナーヤディ(Nayadi)の女性タラヴァッドの門の前に来て大声で呼ばわる。この不可触民のみが行う一種の門付け。土曜日しか来ない。叫び声じたいが大家には祝福になるのだという。ビデオを撮ろうとするが恥ずかしがってなかなか叫ばない。この儀礼もこの女性の代で終わりだろうとおとーさん言う。仮にヴィシュヌがタラヴァッドの主になったとしてもこうした儀礼のことにはまったく知識がないからである。
須田ちゃんは風邪がひどいようだ。寒気するというので額に掌あててみると確かに微熱ある。龍角散試すかと問うと飲んでみるという。案の定むせた。グルヴァユールの象さん動画見せたりして気散じさせる。象さん触ったかとしきりに訊く。どうもインド人にとって象は手で触れてみるのが価値あるものらしい。うりうりの先祖が拙宅に侵入して冷蔵庫の中を漁った話題など。
早目に帰した方がいいということになって町中のバス停まで送る。お別れ。悲しい。モールで充電用バッテリと二個目の鞄買う。おとーさんの父親がはじめた(今は他人の手に渡っている)という古い方のモールは空き店舗多くいささか寂れた感じ。新しい方は割と流行っている。現オーナーはトリシュール出身で店舗貸しビジネスで手広くやってるらしい。
帰宅後パッキングのために荷物を整理。おとーさんがお土産にくれたバナナチップスをていねいにタオルでくるむ。電子蚊取り、余分の腕時計はおいてゆくことにする。
ハリ君来るまで食前酒。おとーさんの昔話がバツグンに面白い。最初の留学のとき(確かカリフォルニアのバークレイで経済学か何かを勉強したんだった筈)奥さんが貴金属をターリーボックスの中に潜ませておいたのが、カルカッタでの出国検査で発覚、インディラ・ガンディーの戒厳令時代だったので密輸の廉で即座に逮捕勾留。税関の所長が知人の知人だったので辛うじて連絡が地元へ行き、一族が総出でカルカッタに駆けつけて偉いさんに面会求めるわ警察署長に袖の下つかませるわの東奔西走。最終的には兄のコネで内務大臣を動かしようやく釈放されたのだという。カルカッタには二度と行きたくないとはおとーさんの談。
来て夕食。ラムソーダをがぶがぶ。おとーさんの結婚式のフィルムを見る。36ミリ撮りの本格的なドキュメンタリー映画。テープをチェンナイのスタジオに送ってリマスタリングしてDVDに焼いたもの。驚くべき豪華版。撮影がバルー・マヘンドラで、祝宴の歌手にはスジャータ(まだ少女の頃)とイェースダース(若い!)が登場する。インディラ・ガンディーの秘書も参列。若いおとーさんのファッションセンスは80年代タミル映画そのもの。長髪にベルボトムが微笑ましい。次回来た時にデュープさせてもらうことにする。
ハリ君
2300に就寝。
9月5日(日)
0500起床。朝のコーヒー飲んでトイレとひげ剃り。おとーさんの基金用にRs35000寄付。0700に出発。ハリ君の家へ。転居して大きな家をリファーニッシュ中。ハギスに挨拶。
空港へ向かう。途上ヴァリポーガムで観光局直営の連鎖店で朝食。プレーンドーサとオムレツ、コーヒー。オムレツには生のグリーンチリ入ってて目が覚める。
コインバトール市内に入る手前でいつも列車から見える丘の上のお寺についてあれは何かと訊ねると、ムルガーの寺院だろう、名前は分からない、タミルにはムルガーの寺院がそこかしこにあるからとの返事。前の車が知り合いのツーリスト・コーディネーターのであるのに気づいておとーさん電話。向こうが慌ててブレーキ踏んだので追突しそうになる。その後問屋に電話してソーダを何ケースか購入する相談をしてる。ケーララ側では本当にソーダが枯渇してるらしい。
0930空港着。おとーさんとハリ君にお別れ。いつでもまた来い。但し11月〜2月は予約で一杯だからなとのこと。12月と2月の末なら若干の空きがある?次回の目標はシャバリマライ、女子学生ダンス競技会、そしてプリヤちゃんだ!ちなみにシャバリマライは月頭(マラヤーラム暦での)だけではなく年中開けようとの案が出てるとのこと。
スハーシニ似のフェアスキン美人警固兵に見惚れているうちに漁夫王定刻通り(1050-1145)に離発着する。ところがバンガロール機場に着いてみると宛にしていたレフトバゲージない。荷物をかかえて途方に暮れるが結局大佐の家に置かせてもらうことに。タクシーでインディラナガルへ。休日なので大佐は例によってゴルフで不在だが奥さんとトゥルシ迎えてくれる。妹のパッラヴィに先週の試験出来たかとお愛想。徒歩でファイブインディア行って詹君のお土産用にショートクルタ買う。
オートでコラマンガラへ。フォーラム内のランドマークで阿氏と1430に待ち合わせ。日曜なうえにセール中なので想像を絶して混雑してる。ミニスカートの若い娘多数。バンガロール以外では水商売でもない女性がこんなはしたない恰好するとは考えられない。小説を2冊買うがキャッシャーで支払い済ませるまでに20分くらいかかる。割り込んだり列を乱したりするのが普通のインド人なのにこんなとき文句ひとつ言わないのが不思議。3階の光碟売り場で阿氏と合流。買っといてもらったLeaderを受け取る。今回はほとんどテルグものしか買わなかった。それでも20枚近く。PVRをあちこち撮影。最も先進的なシネコンの代表として。学会発表用。
コーヒー店、洋食屋とはしご。洋食屋ではパールシ料理のメニューとる。意外と昔の日本カレーに似てるので吃驚。もしかして日本カレーのルーツは英国ダイレクトなのではなく、中間にパールシ料理もしくはパールシのコックが挟まっているのでは?要調査。ニティヤばなし。女子学生ダンス競技会に行こうと誘うと阿氏目を輝かせる。色惚け中年同盟永遠に栄光あれ!ダンスで州旗や州地図が翻るのはカンナダだけなのか。タミル人観客の胃袋は縮んでるのではないか。Kutty Srankの鎌ちゃんは実に好かった、等々。
1915フォーラム前でプリペード・オート拾う。交番型のチケットオフィスで行き先をいうと値段を書いた紙を呉れるのでそれをオートの運ちゃんに渡して動き出すという方式。タクシーならまだしもオートでこの遣り方ははじめての体験。途上大佐から電話。もう帰宅しているとのこと。2000前に大佐宅着。ウォッカ飲みながらケーララ便り。大佐はファブインディアの元マネジャー知り合いという。車椅子生活だが仲々の遣り手とのこと。奥さんのマッタンギが日本の我が家の光景を写真に撮ってくれという。
2045呼んでもらったタクシーで空港へ。チェックイン、イミグレともにスムースに。充電してるうちにボーディング始まる。人っ気なくなってから些かヘンと気づき係員に問い合わせるともう離陸間もないという。2305発を2330と勘違いしていた。危ないところだった。
9月6日(月)
定刻通りチャンギ着。3時間足らずは何とか眠れた。手持ちのルピーの大半をS$に換金。免税店で五粮液。どうやらT2には白酒あるらしい。
0630詹君迎えに来てくれる。ロビーから出たとたん眼鏡曇る。東南アジア特有の湿気。詹家で着替えてホーカーで朝飯。餛飩湯とフライドキャロット。曇り空なのに汗だく。インドに戻りたい気分。帰路にマイクロシムの袴見つけ2枚購入。中国製。
帰宅後関空行きの便をウェブチェックイン。詹君シンテルの3Gプリペード・シムでMiFiためす。ドングルよりパケットの通り好いと大満足。1300、小雨のなか子供たちとホーカーへ。豚の内臓の紅焼、皮蛋の点心など。
帰宅して雑談してるとDHLがiPhone 4配達しに来る。シムなしのためアクティヴェートできず。無念。バンパーの処遇に悩む。手間かけた詹君に手間賃もふくめ¥70000渡す。詹君は来週から九州出張の由。日本円が必要とのこと。
1630家族でホーカーへ。烤鴨に茅台酒。最高の取り合わせ。今回のインドでは毎日ラムやウィスキーを飲んでいたがそれらは所詮代替物。やはり白酒こそ文人の嗜むべきものだ。帰宅して最後のパッキング。とうとうジャケットと靴を断念。南洋生活が長いとすっかり素足暮らしが身に付いてしまい洋装が体に馴染まない。そもそもこの季節にジャケットと長袖シャツで出かけたのが間違いだった。いかさまバンガロールの友人から寒いさむいと言われてたとしてもやはりインドはインドである。そのうえ日本が灼熱地獄の季節だったのだから重装備は避けるべきだった。反省。
1100子供たちベッドへ。アンドレアの運転でT3へ。別れの挨拶。チェックイン。交渉すると緊急脱出口の窓側が空いていたのでそちらに変えてもらう。空港内で日式拉面。不味い。
9月7日(火)
0115定刻通りSQ618離陸。流石に睡眠不足。すぐに眠る。4時間後気流の乱れで目が覚める。顔洗ってPaiyaaの続き見る。朝食摂りながらも見る。映画そのものはどおってもない出来栄えだがお珠ちゃんはスバラシイ。iPhone 4のニックネームは決まり。エンドロール出た頃に搭乗機下降をはじめる。